根っこを考える

友人2人とひたすら語り合ったのだけれど、この3人が集まるとガールズトークの域を超え掘り下げた会話になるのでもう「うわぁぁぁぁぁあ」という気持ちになる。もうなんかいっぱいいっぱい書きたいことあるのだけれど、上手く言葉に出来る気もしないし、まとめれる気もしない。けど、書きたいから書く。

  • 異性への接し方

私は1人っ子で、小さい頃から女の子とばかり遊んでいた。つまり、身近に気軽に一緒に遊べるような男の子はいなかった、と記憶している。男の子は私にとって気軽に遊ぶような存在ではなく、あくまで「男の子」でしかなかった。だから幼稚園の頃の私はいざ知らず、小学校の頃の私にとって「男の子」は初めから「異性」であり、向ける感情は「友情」ではなく「恋情」であることが至極当たり前であった。
それは今の私にとっても同じことで、基本私は男の人に「この人は恋愛対象になるかもしれない人/恋人になるかもしれない人」という認識の下に接しているし、それは私に彼氏が出来ようと出来まいと変わらないことだと思う。別にそういう関係になることを望んでいるのではなく、それが私の基本姿勢なのだ。

  • 本の読み方

私は本に思い入れがない。というと語弊があるけれど、とりたてて好きな本だとか、とりたてて好きなキャラクターだとかがいない。もちろん好きな作家さんはいるし、小説を読めば面白いと思ったり、悲しいと思ったり、泣いたりすることだってある。けれどそれは本を読んでいる間のことだけであって、その本は私に何か変化をもたらすことはない。登場人物の考え方は登場人物の考え方であり、登場人物の物語は登場人物の物語であり、それは私の考え方や物語とはとは違うものである。つまり一言でいうなら「ふーん」ということ。だから私には「この本を読んで考え方が変わった!」というのは理解出来ないし、どうしてそのキャラクターにそこまで入れ込むのかも理解出来ない。本好きの人に怒られそうだけれど、多分私にとって「この本を読んだ」という事実が大事なんだと思う。大変よこしまですね。多分物語から何かを学ぼうとかいう姿勢もそもそもないんですね。作り手からしたら酷い読み手だわ。

からくりからくさ (新潮文庫)

からくりからくさ (新潮文庫)

でも「からくりからくさ」の紀久さんは好きです。謎。